aoko's blog

社会に出て困難を感じる人へ(社会人・事務・貿易事務スキル・生きる術?など)

新しい服を買っても『なりたい私』にはなれなかった

 

収入に対して服飾費の割合が多い女性(私)について書きます。

なんとなく何かに突き動かされて買ってしまうとか、服を持っているのに持っていない気がする、とか。コントロールし難い服飾費に困っている人の話です。

※洋服が大好きな方には該当しない話です。

 

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『なりたい私』にはなれない

数年前ですが、アパレル会社かデパートの広告で「なりたい私になる」的なキャッチコピーがありました。

「なりたい私」がなんなのか、具体的に考えたこともなかったのですが、なんとなく今より良い私になりたいという漠然とした思いを抱えていた私には、このコピーはけっこう刺さりました。服、買いました。

 

さて、私はこのコピーを「新しい洋服を身にまとって、理想の自分になりましょう」というような感じで解釈していました。

この解釈を前提として・・・最近はっきり理解したのですが、新しい洋服を買ったところで自己嫌悪着ない服満たされない思いが増えるだけで、「なりたい私」にはなれないし、何の満足感も得られなかったな、と。

 

(そんなこと当然でしょって思われますか?)

  

持っているのに持っていない気がする

タンスにある服を見れば十分な枚数はあるのに、どういうわけか服を持っていない気がしてしまうのです。

 

服に関しては枚数の実態と、私の認識の間にズレがあり、正しく現在の状況を見れていない状態であることがわかります。

このズレの背景には、服に服としての役割ではなく、違う「何か」を求めているという心の問題があるなぁということに気付きました。だから服が何枚あっても「足りない」と感じてしまうのかぁと。

 

いったい私は服に何を求めていたのでしょうか。 

 

早い話が、「新しい洋服を着れば何か変わるかもしれない」というほのかな期待です。何か新しい風を吹かせたいもっと素敵の私になりたい的な希望を新しい洋服に求めていました。

その根源には今の私には何かが足りない、満足できないという不足感があります。

 

(当時は、洋服があるのに買ってしまうのはなんでなんだろうなぁと思いつつ、深く考えることを避けていました。今だから書けることです。)

 

洋服を買うことは手っ取り早い

改めて書きますが、何か私には足りない、そんな欠けた部分を補おうとするかのように洋服を買っていたことに気付きます。

 

庶民がブランド物を買い求めること、ブランドにこだわることと行動の原理はあまり変わらないかなぁと思います。

ブランド物に興味を持たなかっただけマシですが、そもそも収入が低いのですから服飾費が占める割合はどうしても高くなりました。

これでブランド名で自分を満たそうとし始めたなら家計はあっという間に火の車、破たんだったでしょうね。

 

なりたい私になろうとして、例えばマラソンや英語の勉強を始めたところですぐに結果は出ません。地道な努力の積み重ねが必要になります。

 

もしも、本当に新しい洋服を買うことで「なりたい私」「理想の私」になれるのなら、こんなに手っ取り早いものもありませんが、実際にはそうは問屋が卸しませんので買っても買っても満足できないのだと思います。

 

本当にその服が欲しくて買ったなら良いのですが、そうでな場合は、きっとその服はその場しのぎの偽りの代用品なのです。

 

服装を整えるのは第一歩に過ぎない

例えば、今まで服に無頓着過ぎた人が好きな人デートへ行くために服を一新する、という場合は行動の意味が違ってくると思います。

これは自分を変える第一歩で、すごく前向きな動機を伴っていると思います。

と同時に、服を揃えることはあくまで第一歩に過ぎない、ということも言えますよね。

 

いつも買わない服、ちょっと挑戦して買った服は、結局着ないことが多いです。時々は新しい服が背中を押してくれるかもしれないけれど、挑戦する私、新しい私、総じて「なりたい私」というのは服を買っても手に入りません。

 

服を買い過ぎないためにどうしたらいいか

私自身の行動を振り返って思うことですが、まずは、自分が服を買うことに本当は何を求めているのかを見つめ直してみる必要があります。

 

それから、やはり手持ちの服を全て確認しましょう。本当に着る服がないのか、その目でしっかりとチェックするのです。

お金が十分にあるなら気にせず買い物すればいいですが、そうでないのであれば、まずは手持ちの服を活用することから始めたら良いと思います。

そうして本当に持っていない物を、自分のお財布と相談しながら購入すればOKです。

 

買い物に関して言えば、デザインも価格も納得いくのものが自分にとって本当に良い商品だと私は思っています。

洋服が大好きな方とは購入の基準が違うと思いますが、お金をかけるポイント、趣味趣向なんてものは人それぞれですからね。

 

↓↓服選びの記事も書いています↓↓

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落語の世界で愛される、とんちんかんな愚か者たち◎落語は時々やさしい

 

落語の世界でネタになるそそっかしい人、間の抜けた人、こだわりの強い人、クセの強い人、うっかり者・・・現代ならみんなまとめて発達障害や知的障害ってことでご愁傷様なんですが、落語の世界ではこういう人たちがとても愛されています。

 

舞台が長屋ですと、店子には愚鈍な人がいて、大家は「まったくしょうがない奴だ!」と言いながらも世話を焼いてやっていたりするものです。

愚鈍な人が生き辛そうにしていなくて、それなりに楽しく生きている様子が描かれています。

噺家さんたちの腕前のおかけでものすご~く可笑しいんですけど、同時にとっても愛すべき人たちだなぁとも思います。

目次:

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笑われる理由

そんな愛すべき愚か者と私を同列に書いては良くないとは思いますが・・・思いますが、私も学校ではよく天然だと笑われていました。

からかいがエスカレートすることもあったので、必ずしも愛されていたワケではありませんけどね。

 

なぜ自分が天然と言われ笑われるのか、今までよくわからなかったのですが、家族との会話の中でなんとなく理由を見つけました。

(以前も気付いたことがあったような気もしないでもないですが、もう忘れました。)

 

下記の会話は、水餃子を茹でる手順を確認した時のものです。 

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私:わかった、お湯を沸かして、あとは沈めればいいんだよね!

 

家族:うん?!笑 なんか重りつけて東京湾にでも沈める気?!笑

 

私:え?!笑 なに?!どういうこと?!

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沸騰したお湯に包んだ餃子を入れることを「沈める」と表現したことを家族が笑っていました。思い返せば、こういう笑われ方は昔からあったなぁとハッと気付きました。

言葉のチョイスが独特だったり、理解がワンテンポ遅かったりすることが私の笑われる理由でした。

 

つい最近はこんなことが・・・

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朝 10:00時頃

私:今日は歯医者があるから12時までに買い物から戻らないと!

 

昼 12:00過ぎ

私:じゃぁ行ってくるね~

 

家族:そっか、歯医者だったね!

 

私:え?!

 

家族:歯医者でしょ?

 

私:ああーー!しまったぁ!!

ーーーーーーーーーーーーーー

 

朝の10時に歯医者の話をしておきながら、2時間後には歯医者の予約なんてなかったかのように、きれいさっぱり忘れてしまっていました。

とんでもないうっかり者です。

お散歩へ行こうとして、歩くコースを考えリュックを背負ってご機嫌に出かけようとしていたところを偶然の家族の一言で予約を思い出し、大慌てで歯医者へ行ったのです。

 

こういううっかりや、のんびりマイペースを学校でもやらかしていました。

給食を食べるのが遅くて怒られ、忘れ物が多くて怒られ、それを見て友人に笑われ・・・etc.

今、思い出しました、私はけっこうヤバイ人でした。

 

もしも違う時代に生きたなら・・・

幕末あたりから世の中の構造が大きく変わってきていて、愚か者は社会へ溶け込みにくくどんどん生き辛くなってきているのかなぁという印象を持ちます。

長屋の大家みたいな人はなくなりましたし、庶民の間で笑って許す寛容さも少なくなりました。

 

一方で公的サポートが充実してきたことも事実です。

社会では生き辛くなっていますが、公的サポートが充実したことによって実際には生命も生活も公的に守ってもらえるようになりました。

発展途上ではこうはいきませんので、これは社会が成熟しているおかげとも言えると思います。

 

もしも違う時代に生きたなら・・・なんて書いてみましたけど、私は現代の便利な生活に染まってますし、違う時代に生きてみたいとはあまり思いません。

 

変化の兆し

生き辛くなった、と書いていますが最近は変化の兆しを感じることがあります。

Googleカレンダーの通知設定は、まるで発達障害者のためにあるような大変便利な機能です。

1つの予定に何度も通知が必要な人って、発達障害者以外にいるんですか?

これを作った人は発達障害なのかな?と思うくらいに私得でとっても驚きました。

表現が下手で申し訳ありませんが、技術者の方に不快な思いをさせるつもりはありません。不得手なことをサポートしてくれるアイテムを提供していただけることが、ただただ嬉しく感謝しています。

 

ここ百数十年でだんだんと生き辛くなってきた世の中ですが、今はその流れる方向がゆっくり変わってきているように感じます。

行く先がどうなるかは全く知りませんし予想もしませんが、社会の片隅にいる私は私の世界でこんなことをぼんやり考えています。

 

でも、できることなら落語の世界で生きたいです。

 

精神科、主治医のうっかり発言によって悲しみに沈みかける(愚痴)

 

「お父さまにも相談してみる必要があると思いますよ。」という主治医の何気ない一言にとても動揺しました。よりによって母のことについて、父へ相談しろと・・・?

 

「父とはすでに縁を切ってます・・・」と返答するのが精いっぱいでした。


母にさんざんな暴力をふるった父に何を相談しろというのですか?

 

悲しみに沈みかける

帰る道すがらとてもモヤモヤしました。抑うつ不安で通院しているガラスのハートですから言っちゃいけないことは絶対に言っちゃいけないんです。

 

なんというか記憶を呼び起こされるようで怖く感じました。ほとんど忘れているし思い出しそうになったら自動的にストップがかかりますから大丈夫なんですけどね。

でも、すごく悲しい気持ちに支配されそうだったのでこれはマズイと思う自分もいて、なんとか我を保ちながら歩いてきました。

 

主治医へ感じるモヤモヤ

患者さんを大勢抱えておられる先生です。

薬の処方だけしてくれればいいと考える患者さんもおられますし、当然流れ作業になってしまうのは仕方ないです。

 

ですが、やはり家庭環境にもう少し注意を払っても良かったんじゃないですか?と思わなくもないです。

カルテ見ればわかりますからね。

発達障害を大人になるまで見過ごされたきて、二次障害のうつで通院しているのですからまぁまぁ繊細ですよ。

 

会社でも、いつも相手も悪気がないのだから仕方がない、と思うようにしています。とても苦しいです。

私も他人へ同じようなことをしているかもしれないので悪気がないことについてあまり強く言うことはできないのかなぁとも思います。

 

誰だってうっかりしちゃうよね?

そんなこんなでモヤモヤとして、悲しくなりがら歩いていて、ふと気付きました。

 

先生もうっかりしちゃったんだな!と思えばいいんじゃないか、と。

 

私もよくうっかりするし、そう思えばこちらの苦しさも減らせるかなぁという気になりました。

 

家族に話せばいちいちクヨクヨすることではない、と言われそうですし、同時に無責任な医者だと怒り出しそうなので黙っておきます。

家族の主治医への信頼が薄れることは、私の治療の妨げになるのであまり事を荒立てたくありません。

 

家に帰るとそのまま動けなくなって眠りました。

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今日はとっても疲れました。

 

『動線を考える』ことを理解した(と思う)◎部屋を片付けましたPart2

 

いい大人が『お片付けしました』と報告する記事パート2です。最近になって部屋を片付けられないことについて家族へSOSを出しました。今は家族の助けを借りて片付けを身に着けているところです。

 

1人ではどうしていいかわからなかった「片付け」ですので同じように困っておられる方やその周囲の方へ、私はこんなふうにしました、こんなことを教えてもらいました、ということをシェアする記事です。

 

ちなみに、先日は家族から『床に物を置かない』ことを教えられました。忘れないようにこんなモノをテーブルに飾っています。(手書きの字は下手なので隠しました。)

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目次:

 

【なんでもバッグ】を撤去せよ

約50x25x25cm位で持ち手のついている収納用バッグなのですが、いわば【なんでもバッグ】として部屋に置いていました。

↓↓こんな感じで中身はぐちゃ~となっています。↓↓

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[中身]

・ビニール袋 複数枚

・ホッとアイマスク 十数枚

・服用ミスト 4本

・ソフトストーン 2本(うち1本はストック)

・ワキ汗パッド 複数枚

・イヤホン 1個

・コード 1本

・ビタミン飲料 1本

・マスク 1箱

・エコバック 2枚

・香りミスト 1本

・グミ 常時5袋くらい

・・・その他小物

 

これをご覧になって皆さまはどのようなご感想を抱かれるでしょうか。

 

私はにとってこのバッグは、

・よく使う物の出し入れの手間を省く。

・布団からもクローゼットからも届きやすい。(=動線がいい)

という、とても便利なものでした。

 

ところが家族の考えは違ったようです。

前回の片付けのときに「とりあえずのカゴ」方式に失敗があったことを認め、廃止したことを書きました。

私にとっては「とりあえずのカゴ」と【なんでもバッグ】は別物だったのですが、家族には同じように不要な収納グッズに見えたそうです。

  

【なんでもバッグ】の実態

先ほどバッグの中身を紹介しました。こうして振り返るとバッグに対する私の認識実態が大きくかけ離れていたことに気付きます。

 

実態は、

・日用品のストックが入っている。(=ストックは毎日使うものではない)

・とりあえず突っ込んでいる小物など、収納場所に戻していないものが入っている。

・考えるのが面倒でとりあえず突っ込みがちなので、先日撤去した「とりあえずのカゴ」のバッグ版に近い状態になっている。

という乱雑な状態でした。 

 

ちなみに、私がバッグを死守しようとした理由はおおむね下記のとおりです。

・バッグを廃止したら、どこに収納するかわからない

・布団からもクローゼットからも届きやすい=動線が良いと思い違いしていた。

・とにかく絶対に必要と思い込んでいた節がある。

 

こうして振り返りますと、ザ・発達障害という感じがしますね。 関連書籍でこのような事例はいくつも掲載されていましたので珍しくはないようです。

 

【なんでもバッグ】に対する家族の助言

自分に聞く耳さえあれば、家族の助言は大変に有効です。

我が家は家族も発達障害を抱えていますが(診断はないけどほぼ間違いないと思います)、凸凹の箇所が違うようでお互いに補い合った結果、このように私の不得手な片付けに多くの気付きをくれました。

 

・「動線が良い」状態を正しく理解しよう。

 例:ワキ汗パッドや衣類ミストは着替えのときに使う物はクローゼットに収納する。使うところに収納しておくと良い

 

・不要なものを棄てる。

 例:衣類ミストを4本も持っていました。中身が空のものや香りが嫌いで使わないものをキープしていたためです。こういった不要品を棄てるか、家族へ譲ることで私の元から手放しました

 

・ストックは「ストック入れ」があるのだからそちらへ入れよう。

 (だって毎日使うものではないでしょ?)

 

・同じ系統のアイテムを収納している引出などに戻していく。

 例えば、イヤホンなどはコードや充電器を保管しているところへ入れたら良い。

 

こうやって見ると決して難しいことではないのですが、自分1人ではどうしてもできなかったのです。

できない要因は、余裕がなくて考えられない、そもそもわからない、思い込みが激しいとか、その時の家の環境であるとか、複数あると思うのですが、こういった困難というのは発達障害に起因するものだと今は理解できます。

片付けられない=ADHDというイメージがありますが、実はASDの傾向も片付けを難しくする要因になるようです。

両方持っているので複雑に絡み合って片付けられなくなっていると思います。

 

関連書籍も役に立つ

これまで三十数年、自分なりのやり方で一応は生きて来られた私としては、片付けができないことを認め家族へSOSを出すなんて発想がそもそもなかったです。

それにこんな私でも長女ですし意地みたいなのがあって、いきなりSOSを出すことも、家族のアドバイスを聞き入れることも難しかったと思います。

 

「なんでできないんだろう・・・」とは思っていましたが、結局は私が悪いという結論で終わってしまい、何も解決することはありませんでした。

 

発達障害の診断を受けたことから自分の得手不得手を考えるようになったり、関連書籍を読むことで自分のことを理解できるようになりました。

関連書籍を先に読むことは、家族の助言を受け入れる土台作りとして私にとって前進するための大きな助けとなりました。

 

それと発達障害のための片付け本などは具体的な方法も書いていますし、こういう情報もとても役立つと思います。

個人的には、片付けの実践についてはやはり周囲の手助けがほしいところかなぁとは思います。この辺は個人差があるかとは思いますが。

 

最後に前回のお片付け記事のリンクも貼りますね。

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『ケーキの切れない非行少年たち』に父、コジローを重ねる

 

つたない読書感想文です。『ケーキの切れない非行少年たち』(著者:宮口幸治)を読みました。

児童精神科医の宮口幸治さんが精神科と医療少年院での勤務経験をベースに書かれた本です。

 

目次:

 

三等分のケーキ 

本の帯には非行少年たちが書いた『三等分にしたケーキ』の絵が掲載されているのですが、きっと多くの人がショックを受けるのではないかと思います。

そこにあるのは三等分ではなく『不均等な三分割』なのです。

 

・三等分の意味がわからないのか?

・ケーキを平等に切り分けるということを見たこともやったこともないのか?

・この不均等が彼らには『三等分』に見えるのか?

 

さまざまな疑問を抱くことになろうかと思います。本書には『認知のゆがみ』という言葉が随所に出てきます。

いったい、この世界は少年たちにどう見えているのだろう・・・?

そう思うと、うまく言えないのですがなんとなく悲しくて恐ろしい気持ちになります。

 

加害者と被害者生む

この本でクローズアップされているのは、主に知的障害を持つ子どもたちです。「反省以前の子ども」というように表現されています。

知的障害か、発達障害かというのはあまり重要ではなくて、本人が抱えている困難を周囲の大人に気づかれずに成長し、やがて社会で不適応を起こしてしまうことが問題になります。

その不適応の結果の非行とされる犯罪行為には、ときに被害者が存在しています。

 

ケアされるべき子どもを見過ごしたことが、犯罪の被害者をつくってしまうという、なんとも辛く悲しい負の連鎖の現実をどのように受け止めたらいいかわかりません。

 

私は、父、コジローが子どものうちに適切な環境で育たなかったことが本人にとっても、私たち家族にとっても「不幸」しかないことを残念に思っていたので何か支援体制があればいいのにとか、配慮があればいいのになと感じていましたがあくまで家庭の問題としてのみ捉えていました。

もちろん社会に適応して働くことができれば生活保護費などを削減できる上に納税もできますし、社会全体にとって良いことだという認識はありましたが、そこから更に踏み込んで想像できませんでした。

 

子どもの困難を見過ごすことが、犯罪被害者をつくる・・・我が家のようないち家庭の問題だけに留まらないことに改めて目を向けさせられました。

 

↓↓リンクです。本の帯もご覧になれます。 

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

 

 

父、コジローのこと

このブログでは何度か書いている父、コジローのことです。

すぐにカッとなる、平気でうそをつく、なんでも自分の都合のいいように解釈する、小学生の算数を理解していない、など多くの問題を抱えていました。

これらのことから、発達障害ADHD)と学習障害があったのではないか、ということに最近気付いたのですが、今回『ケーキの切れない非行少年たち』を読んで、コジローの被害者意識の強さを思い出しました。

私が言っていないことを「言った」と言い張って、「お前にそんなことを言われる筋合いはない!何様のつもりだ!」とブチ切れたり、いつでも何でも「誰かのせい」にして怒っていました。

 

IQ100ないと生きにくいらしい

本書によりますとIQ100はないとこの社会では生きにくいそうです。

私のIQは100ありません・・・。90代前半です。(しょんぼり。)

勉強のできないコジローが知的な面で私よりも更に過酷な状況であった可能性は十分にあると思うのです。なんといっても私の親ですしね。

 

(私自身の発達障害も最近になってわかったことなので、コジローのことにも当然気付きませんでした。)

 

気付かれずに家庭を持ってしまう場合

この本ではあくまで「子ども」という存在にフォーカスしています。コジローのように気づかれないまま大人になって家庭を持った結果、さらに気づかれない「子ども」をつくっていくという『連鎖』についてはあまり言及されていませんでした。

もう少しその連鎖への懸念だけでも書いてくれたら有難いかなと思いました。ただの私得ですが。

きっと、あくまで目の前の「子ども」と、問題の解決方法に焦点を絞っているから余談は省かれているんだろうなと思います。

 

多くの場合、貧困を含めて人生の困難はまるっと子どもに引き継がれると言いますか、連鎖しているように思えます。

正式に発達障害の診断を受けたのは私だけですが、兄弟みな程度の差こそあれ困難を抱えています。そして、そんな私たちの両親も同じように困難を抱えて不適応を起こしています。

コジローは犯罪に手を染めていましたし、母も(詳しいことは控えますが)諸々問題を抱えました。

 

学校教育への期待

著者の宮口さんが学校での教育へ期待を寄せるのは、困難を抱える子どもの親も同じように困難を抱えているため、家庭での教育が不可能だと知っているからでしょうか。

家庭での教育についてはあまり期待を持たれていないように感じました。

親に対する言及は少し表現が強めのように感じたため、親の困難への理解があるのか、そうでないのかは、私にはハッキリと読み取れません。(読解力足りません。)

 

昨今、これだけ教育現場の負担が問題視されているなかですが、ひるむことなく学校教育へ言及されていてすごいなと思います。

ぜひ、現場だけでなく、まずは上の方々に届いてほしいです。

ルール作りをしている方々は現場を知らない上に社会適応の困難とは無縁でしょうから理解しにくいでしょう。それは仕方ありません。

ですが、宮口さんが書かれている非行少年の犯罪による経済的損失について目を向けていただければ、事態が深刻であることを理解していただけると同時に重い腰も少しは上がりませんかね・・・?

 

2019.9.7追記

 

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年中無休の『ワキ汗ガール』の日常【夏】

 

流行りの『ガール』を語尾につけてみました。本記事のカテゴリは【(社会人スキルと)生きる術】になろうかと思います。

 

汗っかきの方への共感がメインになりますが、何か少しでもお役に立つことがあるなら幸いなことです。

『ワキ汗ガール』というのは異常なまでに大量のワキ汗をかく女の子のことですが、私はもうガールと言える年齢ではなくなったので今はただのワキ汗人間です。

 

まずはじめに・・・数十万円かけて多汗症の手術することを考えたことがないわけではありません。しかし、そうはいっても悩みは他にもありますし、そもそも金銭的な余裕がないこと自体が悩みでもありますので、私にとって手術というのはあまり現実的な方法ではありません。

目次:

私にとっての夏

夏といえば『汗』です。まもなく汗の夏が終わります。 

ワキ汗人間にとって真夏は大変そうに見られがちかもしれませんが、私の場合は意外にも真夏はとてもラクなのです。

なぜかって、ノースリーブさえ着られたら汗染みを気にしなくて良いのですから。

男性に比べて女性は服で調整しやすいですよね。一方、男性のノースリーブってあまりメジャーではない気がしますので。(ただ、女性はノースリーブを着るための一手間が面倒ではあるかもですけどね。)

 

真夏にブルーやグレーのシャツを着ている男性を見かけますとワキは大丈夫なのかとこちらがヒヤヒヤします。一般的に男性の方が女性よりも暑がりで汗をかくと思うのですが、ワキ汗に関しては私の方がうわてようです。ブルーやグレーは絶対に着ません。

 

におい対策

におい対策の基本は、服に汗を染みさせないことです。

夏場はノースリーブ、それ以外はワキ汗用のパッドを使い、ワキ汗が直接服に染みないようにします。

 

そして、もう1つ欠かせないのは『デオナチュレ ソフトストーン』を塗ることです。

1年、365日塗っています。

服に汗が染みてしまった場合の匂いを無くすことはできませんが、パッド使用時とノースリーブであれば匂いは快適になっていると思います。 

塗り忘れたら不安でたまらなくなって変な汗をかき、ますますワキ汗の調子が悪化するような気がします。

 

一度だけ、女性向けの汗を抑える商品を試したことがありますが、汗も匂いも全く抑えられていなくてショックを受けました。汗を抑えるなんてそもそも無理なのですよ。他の商品へ浮気したことを後悔してすぐにソフトストーンに戻り、それからはよそ見をしていません。

 

冷えとワキ汗 

女性のあるあるかもしれませんが、ワキ汗をかく一方で不思議と全身は冷え症なので冷房に弱いです。ワキ汗と冷え症をこじらせています。

 

夏場はカーディガンが手放せません。ファッションの変遷に感謝なのですが、ワキがピタッとしていないデザインが流行した後、現在はほぼ定番化していることがとてもありがたく感じます。(もしくは昔からありましたかね?)

ワキが密着しないカーディガンはこじらせたワキ汗人間にとって、必須アイテムです。私は白・黒を各1着持っていて、とても重宝しています。

持っていない方にはとてもオススメしたい一品です。 

 

白いTシャツに浮かび上がったリアス式海岸

長時間、外にいた場合は大量に汗をかくので本来は服を放置してはいけないのです。つけ置きしておくのがベストです。

 

歩くのが好きでよく歩いています。さすがに昼間は暑すぎますので、日陰ができる時間帯から夕方・夜にかけて歩いているのですが、それでも今年はとても暑いです。

 

その日は白いTシャツを着て大量に汗をかきました。

翌朝、洗濯機を回しますので一晩放置することになるのですが、さすがにこの年になると薄々『放置したらシミになるかしら』と気付かなかったわけではないのですが、どうも面倒くさがりで後回しにして、そのまま忘れてしまったのです。(発達障害あるある)

干しているときにも気付かず、乾いたTシャツを畳むときに思い出して確認したところ、妙な『線』を見つけたのです。

汗が染みわたった『境界線』です。地図上で見るリアス式海岸のようになっていました。薄い墨色のような線でした。

 

手荒いで落としてみようといくつか洗剤を試してみたのですが、洗っている最中に他のシミを作ってしまい、結局うまくいかなくて諦めました。

放置せずつけ置きすればよかったなぁと後悔。

 

つけ置き洗いにはワイドハイタ―EXを使っています。兄弟の汗クサTシャツもつけ置きしてからいつも通り洗濯すると多少は匂いが取れています。ガンコすぎて取れなくなった時にTシャツを捨てます。

ちなみにワイドハイタ―EXは酸素系洗剤です。塩素系の漂白剤ではないのでご注意を!画像つきのリンクを貼ります。

ワイドハイターEXパワー 本体 600ml Japan
 

 

ワキ汗パッドを貼れるか貼れないか

ノースリーブでない時は、パッドを貼れるか貼れないかというのが重要です。

これまでユニクロのエアリズムのTシャツ型を買っていましたが、この素材はパッドがうまくくっつかないことがとても不満でした。

 

◆お手頃で、◆パッドをつけやすくて、◆襟周りの広さも十分な、商品はないだろうかと思っていたところ、無印良品をちょうど良いモノを見つけました。

 

インナーのコーナーに置いてあります。無印良品のインナーは綿ぽくてエアリズムよりもパッドの粘着部分が貼りやすいです。

襟周りの広さも十分にあり、トップスからはみ出てしまうことはなかったです。インナーそのものがワキ汗対策のためにワキ部分が二重になっていますが、お察しのとおり汗っかきにとって何の意味もなさないものです。

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今年の夏は、これを4枚購入しました。真夏はノースリーブですので、初夏と秋に活用するものです。

冬は毎年ヒートテックですが、今年は無印でもインナーをチェックしてみるつもりです。

 

コジロー、あなたはどんな子ども時代を過ごしていたの◎父も発達障害だった可能性・・・

 

コジローというのは私の父です。

社会で真っ当に生きることが困難な人の話です。オチとか提言とか何もない上に愉快でない話です。

 

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両親は私が十代の頃に離婚し、それからは母子家庭です。

 

たしか2年程前に遠目でコジローの姿を見たときは白髪頭になっていました。 その更に6、7年前に久々に顔を合わせた時には歯が抜けていることが目立ちました。

 

最近になってどう考えても何らかの障害を抱えているのだろうなということに気付きました。人生のどの段階でも支援を受ける機会がなかったことがとても残念です。

 

***

 

第一子が生まれるとき、コジローはタバコを辞めました。

子どもの頃の自宅に灰皿はありましたが、コジローがタバコを吸う姿は見たことがありません。(1日中家にいても吸っていなかったので、ほぼほぼ禁煙できていたのではないかなと思います。)

 

私も以前は喫煙者だったのでわかりますが、特にコジローのような衝動的で欲に負けやすい人がよくぞ禁煙できたなぁと思います。

今思えばコジローが唯一、有言実行したことなのですが、残念ながらそのことを「よくやったね」と褒める人は周囲にいなかったのではないかと思います。

その時、コジローは35歳前後でした。

 

子どもを迎えることに喜びを感じていたような様子が窺える一方で、怒りを抑えられないコジローは妊娠中の妻を殴ることもありました。

出産の費用も自力で工面することができませんでした。

 

そんなことがあっても、ようやく第一子と対面した写真では子どもを愛おしそうに抱いている姿が残っています。

第一子というのは私です。

彼は彼なりに子どもの幸せを願わないのでもなかったものの、それを実現する手段を持たなかったのだろうなと今は思います。

 

私が算数の宿題をしているときに「分数だけはやっておいた方がいいぞ」とか「算数はやっておけ」ということを言っていました。

コジローは小学生の算数を理解していませんでした。

 

私自身の発達障害を知った折に学習障害(LD)というものを知り、コジローが該当するのではないかと気付きました。

彼はもうじき70歳が見えてきます。

 

私の知る限り、コジローはすぐにカッとなり手を出します。仕事も何も継続的に続けることができません。(これはADHDのように思えます。)

 

一方でとてもプライドが高いのですが、今思えば傷ついてばかりいる自分を過剰に守ろうする姿に見えなくもないのです。 

コジローの親族の話も聞いていますが、とても彼の特性に理解の深い家庭とは言い難いです。勉強はできない、すぐに暴力に訴える、落ち着きのない子どもとして育ち、周囲もおそらく本人自身も落ちこぼれだと思い、そのまま大人になったのだろうということは想像に難くありません。

 

 

第一子のために禁煙をし、彼なりに父親であろうとするもことごとく失敗し、今ではその第一子とは縁を切っています。

私の兄弟は繋がりを持ち続けてくれていますが、親とは思っていません。兄弟は優しい気質なのでコジローを気の毒だと思って話半分で相手をしているようです。

 

現在のコジローはやはり定職に就けず生活保護を受けているそうです。彼の人生は彼のどうにもならない衝動によって突き動かされ、こらえ性のなさに振り回され、彼自身では妥当な選択というものを何一つできていなかったのように思えてなりません。

(話を簡略化し過ぎているとは思いますが、当たらずとも遠からずというところで私にはこのように映ります。)

 

誰が望んでこのような生き方をしますか。

第一子を迎えたとき、その子と縁を切ることになろうとは想像もしていなかったはずです。

 

***

 

コジローの生活保護について

コジローが生活保護を受けることについて世間の方の税金が使われることに何の抵抗も感じないわけではありません。しかしながら、コジローの取った行動の責任を子どもである私たちが背負い続けるというのは私は耐えられません。

彼を気の毒に思う一方で、彼の言動に私を含め家族は少なからず傷を受けています。子どもには何の落ち度もないこと私は私自身に言い聞かせながらようやく生きていますので「親なんだから」とか「子どもの責任」という指摘があったとしても、私にはどうしても受け入れられません。

あまりにも酷ですし、親の責任を子どもが負う必要がないことを、少なくとも日本のような先進国で成熟した社会においては広く理解されているのかな思っています。もちろん世界中でそうあって欲しいと願っています。

 

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