aoko's blog

社会に出て困難を感じる人へ(社会人・事務・貿易事務スキル・諸々の生きる術など)

鼻をかんだティッシュをゴミ箱に捨てられない◎部屋を片付けましたPart3

 

部屋を片付けてから数日はキープできるのですが、その後はやはりというか・・・どうしても部屋が散らかります。

なぜゴミをゴミ箱へ捨てられないのか、私の頭の中(思考)をお見せします。

目次:

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ゴミをゴミ箱に捨てられない

もう認めるしかないのでこの事実を受け入れます。

私は、『ゴミをゴミ箱に捨てられない』のです。

 

どうしてゴミを捨てられないのか、今までよりもよく見えてきたことがあるので詳しく書いていきます。 

 

たとえばブログを書いているときに鼻をかんだとします。

本来であれば、①鼻をかんで②ゴミ箱に捨ててから③ブログ執筆に戻る、ことをすれば良いのですが、ブログのことで頭がいっぱいになるため『①をしてから②をして③に戻る』というような切り替えを上手に行えないのです。 

ブログのことを考えているとき頭の中はそれだけです。このとき鼻をかんだティッシュの存在はどうでもいい些末なことになるので床に置いて意識の外へ追いやってしまいます。そして最短でブログ執筆の世界に戻ります。

無理矢理に鼻をかんだティッシュに注意を向け、ゴミ箱に捨てることは私にはとても難しいです。例え1度は行えたとしても多大なストレスになります。

それからブログ執筆を終えても、やはり意識をゴミへ向け、実際にゴミを捨てることはできません。

 

このように使っては放り出すことを繰り返し、あっという間に部屋にゴミや物が散らかっていき、生活の質を落とすレベルに至ってしまうのです。

  

例としてブログ執筆中のことを書きましたが、これに限ったことではありません。心配ごとや悩みごとで頭がいっぱいのときや、Youtube、漫画といった面白いことに気を取られているとき、気になる事柄をネット検索している時なども同じ状態になります。

私の頭は、目の前の(私にとって)重要な1つのことしか考えられないし処理できないのです。

 

脱いだら脱ぎっぱなし

発達障害者に限らず誰でも1度は考えるであろう「1回しか着ていない服をどうするか」問題です。

私の場合は、次に着るのか、それまでどこに置くか、あるいは洗濯するのかを考えることが面倒なため服を床に転がしておきます。

そして、翌日や翌々日の着替えるときなってようやく、今日もう1回着ようかな、洗おうかな、一旦しまおうかなと考えるのです。

 

脱いだら脱ぎっぱなしでシワになるのが嫌なのときは、広げて他の服の上へフワッと乗せたりします。まれにハンガーにかけることもあります。

 

『1回しか着ていない服』をどうするかルールを決めたいのですが、良い案が浮かびません。しばらくは課題になりそうです。

 

今の部屋の状態

鼻をかんだティッシュ、洋服だけではありません。お菓子の空いた袋なども転がっています。

厄介なのは柿の種(わさび味)です。ピーナッツに興味がないので開封済みの袋にはピーナッツだけが残っています×6袋、床に置いています・・・。

それからメモ帳やタブレット、バッグ、当然ですがゴミ箱は溢れています。

 

先日、強いストレスに耐えがたくなりタオルと服をはさみで切りました。ボロボロになったタオルと服が糸くずをまき散らしています。(怖い・・・)

 

今週中にはまとめて掃除を始めると思います。

 

ーーーー

 

自分の容量の悪さというか、キャパの少なさにうんざりします。散らかした部屋が好きなわけではありません。

完璧でなくて良いのでもう少し部屋の中が整った状態(=床に物がない状態)を維持しながら生活したいです。負担の少ないマイルールを作れないか、考え中ですが今のところは思いつきません。

 

ちなみに『マイルール』というのも肝です。

おそらく発達障害の特性なのですが、私は『Aの場合はBする』という明確なルールが必要な人です。明確なルールがないことがストレス、なければ動けない、というのも脱いだ服が散らかる要因かなと思います。

 

後日マイルールを思いついたり参考になる本があれば、このブログでシェアしたいと思います。私と同じような人がご覧になるかもしれませんので。

 

部屋を片付けましたシリーズPart1,2のリンクを貼ります。1,2を書いたときは、きれいな部屋をキープできると思っていましたし、ここまで散乱するとは予想していませんでした。が、今思えばそんな簡単に克服できませんよね。散らかって当然です。

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料理の苦手意識、不安感を低減する工夫◎マルチタスクを辞める

 

料理をすることへの強い苦手意識、不安感を低減するための工夫について、私の事例を書きます。

 

一人暮らし時代に自炊をすることがありましたし、実家では家族の食事を作ることもありますが、なかなか料理への不安感や苦手意識を完全に拭うができません。

ご飯の支度がまるで苦行のように感じてしまうことは、日常生活に支障をきたすレベルのストレス事案だと感じています。

なるべく原因を見つけ、それを取り除くことや低減する方法を見つけましょう。

この記事は私が自分自身にかける言葉でもあります。お付き合いください。

 

目次:

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料理への不安、苦手意識の原因を探る

私の場合ですが、原因は主に3つあります。

 

1.料理には発達障害者の苦手なことが凝縮されている。

「段取りを考える」や「同時並行」といった作業的な困難のほか、レシピを見ると「一つまみ」「少々」といった曖昧な表現が多くてパニックになります。

 

2.家族など自分以外の人に提供することに高い要求レベルを課している。

美味しく作らなきゃいけない、失敗しちゃいけない、だしやソースなど全て「手作り」しなくちゃいけない、などの高めの要求を自分で勝手に設けてしまい、勝手にプレッシャーに押しつぶされてしまうのです。

 

3.父親に小ばかにされた時の嫌な感情とリンクする。(オマケ)

料理に関するトラウマのような感覚があります。ネット環境も整備されていない上、自宅に料理本もなかったので、目玉焼きも作れずに失敗してしまいました。良かれと思ってやってみたのですが結果的に「お前はこんなこともできないのか。」と父親に小バカにされて終了したので、すごく恥ずかしくて傷ついてしまいました。 

→このトラウマについては、家族に打ち明けることや、うつ治療の中で徐々に減ってきていますのでほぼ解決とします。

 

本記事においては1=苦手なことが凝縮されている2=高い要求レベルを課していることについて取り上げます。

 

具体的な対策

さて、上記で述べた2つの原因について、具体的な対策を紹介します。

 

【1】『料理には発達障害者の苦手なことが凝縮されている』

 

(1)同時並行が苦手なら進行を簡素にしましょう。タイトルにある通り、マルチタスクを辞めるのです。

 

進行手順例

1)食材を解凍を始める。

2)食材の水気切りを始める。(豆腐を使う場合など、レシピ次第)

3)食材を切る。必要に応じて水にさらす。

4)味付けの調味料を計って1つのボウルに入れる。(味を調える系はボウルに入れなくて良い。最後にふりかければOK。)

5)水溶き片栗粉など、味付け調味料とは異なるタイミングで投入するものを用意する。(レシピ次第)

6)食材を火にかける。

7)アクを取る。(レシピ次第)

8)味付けの調味料を投入する。

9)引き続き、火にかける。

10)仕上げに塩コショウなどの味を調える系の調味料を投入する。(レシピ次第)

 

ポイント解説

あらかじめ調味料を混ぜてしまい、一気に鍋に投入することがオススメです。

「調味料を順番に計って、投入する」ことを鍋の火を見ながら行うのは、焦ってパニック状態に陥ります。

たとえ調味料を投入する最適な順番があったとしても無視しましょう。(味に大差ないですし家庭料理にそんな緻密さを求める必要はありません。)

同じ理由で、水溶き片栗粉なども先に作っておく方が焦らずに済みます。調味料を混ぜた後に、作ってしまいましょう。

そして、あとは「投入するだけ」の状態にしておくのです。

 

(2)あいまいな表現を具体的な分量に変換しましょう。

 

1)少量、ひとつまみ

ひとつまみがどの位か?問題です。これは私なりの考えですが、小さじ1/4未満だと思います。

小さじ1/4またはそれ以上の場合、小さじ1/4、小さじ1/3など具体的に量が示されます。

一方、小さじ1/5とか1/6といのは今のところ見たことがありません。

従って、小さじ1/4未満を少量やひとつまみと表現しているのだろうという結論に至りました。

正直、小さじ1/4、1/5、1/6なんて私にとっては大差ありませんか、ひとつまみや少量と書かれたらものは小さじ1/5程度と変換することにしています。

 

小さじ1/5程度というのはあくまで私の目安ですが、このように自分なりに具体的な数字を用いた解釈へ変えることが負担を減らす良い対策だと思います。

 

2)生姜のひとかけ

これはネットで調べると出てきますが、おおむね人差し指の第一関節から先端までのサイズを「ひとかけ」と言います。

厳密に寸法を測る必要はないです。「人差し指の第一関節~先端」を目安とするに留めましょう。

例えば、「第二関節から先端まで」とすると分量が二倍になってしまうので、それは避けた方が良いですが、多少の大きさのズレは何の問題もありません。

 

【2】『家族など自分以外の人に提供することに高い要求レベルを課している』


先ほど「家庭料理にそんな緻密さを求める必要はない」と書きましたが、それと同じ類の話です。失敗してもいいし、この前より味が濃い・薄いという味のばらつきは家庭料理ならば当然のことです。

 

お味噌汁を例に出します。「お味噌汁を作るなら本当はだしから取らなくちゃいけない」と考えたりしていませんか?

だしはほんだしで良いんですよ。

 

ほんだしは十分に美味しいですよ。


だしを取るために、時間と手間をかけ、心を消耗するのですか?

料理の負担が重くなりストレスが積み重なった結果、家族間の諍いが増えてギクシャクするのって家庭料理として本末転倒ではありませんか?

 

勝手に自分に高い要求レベルを課して、勝手にそれに押しつぶされてしまっているのです。そんな不毛なことは辞めましょう。

作る人の裁量で作ってほしいと思います。

得手不得手、好き嫌いは誰しもあるものですから、時間があってだしを取りたい人は取ればいいけど、そうでなければだしの素を使いましょう。

 

料理中の台所が汚くなる問題

料理の中で避けて通れないのが、「使った道具やゴミが散乱する」問題ですね。

ぐちゃぐちゃなのが気になってしまう人は一工夫することをオススメします。気になってしまうことも大きなストレスとなるからです。

 

 

(1)100均のポリ袋にゴミをまとめる。

野菜の皮を剥いてシンクに落とすのではなく、その皮や種をポリ袋に入れていきましょう。

お皿や小さ目のボウルがあれば、そこへポリ袋を置くと良いです。

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(2)調理道具は重ねてシンクへ置いておく。

・それほど汚れていない →水をかけて置く。

・油よごれなど汚れ手ごわい →ペーパーでふき取り、洗剤を垂らして水につけ置く。

・肉が触れたものなど雑菌が気になる →洗剤を垂らして水につけ置く。

 

以上の2点を実施すればシンクの散乱を低減できます。火を通している間、手持無沙汰な時間が生じたら、そこで洗い始めましょう。

 

作る品数を減らす

マルチタスクが苦手なのでアレコレもできないのです。思い切って作る品数を減らしましょう。

よく、「一汁、三菜」と言いますが、私は三菜なんて必要ないと思います。私は汁物が欲しい派なので、汁物・ご飯・二菜くらいで良いと思っています。

二菜も、おかずと納豆で良いです。納豆は器に入れて、余裕あればカット小ねぎでも散らせばそれっぽく見えます。

こうすると作る品数は、汁物おかず一品のみです。

 

疲れている、あるいは時間のない日は、汁物はお湯に溶かすやつ、おかずはお惣菜or冷食で調達しましょう。すると、ご飯を炊くだけで良いです。

ご飯を炊きたくなかったら、お惣菜かチンするご飯にしましょう。

 

品数や栄養的にもう一声欲しいときは、野菜ジュースやヨーグルトなどを添えてみてください。

 

出来合いでもテーブルに汁物、ご飯、二菜があれば、家庭のご飯としてはもう十分だと思います。

 

最後に

女性は料理ができて当たり前とか、個性を無視して自分の理想を強要してくる人とは係らない方がいいです。

婚活していた頃、やはりそういう価値観の男性が多かったです。

女性側にも「男性の胃袋をつかめ!」的な考えの人が多いので、そういう固定観念のある男女同士がくっつけば良いと思います。

 

そうでない人は、そういう人たちと関わらない方が身のためです。

 

無色になる

 

正しくは「無職になる」です。

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誤って「無色になる」と変換してしまったら、俗世を離れたポエマーみたいな感じでちょっと素敵になりました。

 

変換をミスって思いました。

会社での慣習とか、世間の常識にとらわれないとか、中二病的に言うと何ものにも染まらないことを「無色になる」と言うのなら、この変換はあながち間違いでもないのです。

無職になって無色になる、のです。

まぁ、ただのニートなんですけど。

 

復帰の目途が立たないので退職しました。文章を書くことは過度なストレスを伴わずにできる唯一のことです。

 

仕事の中でメルマガを書くことが一番好きでした。

厳密にいうと、最もやりすい仕事だったので好きだったのです。

・話題も雑談も決める裁量がある。

・偶然にも評判が良いことが後押しになった。

・顧客対応が苦手なため、それに比べてストレスが少ない。

とまぁ、大きくはこんなところです。

 

高校を卒業してから十数年の会社員生活を送ってきました。

泣きながら出勤したり、眠れなくなったり、もうダメかもしれない、会社へ行くぐらいなら死にたい、そう思いながらもとにかく正社員の仕事を離すまいとしがみついて生きてきました。

 

ついにギブアップする時が訪れたのです。

 

退職しても実感が湧かなかったのですが、「ギブアップした」ことを書いているうちに徐々に自分の決断、置かれた状況を私自身のものと捉えられるようになってきている気がします。

 

発達障害と二次障害によるうつで通院している状態ですので、しばらくは社会保険からの給付を受けて生活を続けます。

 

その後のことはノープランですが正社員の求人を探すことはないでしょう。フリーターになります。フリーなので給料を受け取る以外の方法で収入を得られないか、ということも試してみます。

ブログで稼ぐというのは考えていません。アドセンスは貼っていますが無収入と同等ですしアフィリエイトで稼ぐ的なことには興味ないので。

 

自分の人生が苦しいものだから同じような境遇に入る人の役に立ちたくて(ただのお節介ですが・・・)、とにかく若い頃の私が欲しかったもの、知りたかったものとかをここで書いています。それは私自身の救いにもなっているのです。

けっこう愚痴も書いていますが、それは「自分と同じような人がこの世界のどこかにいる」「共感できる人がいる」というのを確かめたかったという私の経験がベースになっています。私がこうして書くことで「この世界のどこかにあなたと同じような人がいますよ」と言いたいのです。

それから私自身としても、どこかの誰かとシェアしたいという気持ちがあります。

 

アフィリエイトをやらないのは私がそのようなサイトに深い絶望しか感じなかったからです。検索結果に表示されるサイトにペラペラなアフィリエイトの多いこと、多いこと。

転職やうつで真剣に悩んでいるときにこのようなアフィリエイトのページを読むと孤独と絶望しか感じません。腹も立たないほどに悲しくなるのです。

結局は広告に導かれるだけ。真実味のない「私もそうでしたが」的な文言がいかに寒いセリフか、私自身が身を持って経験してきていますのでそのような記事は絶対に書きたくありません。

オススメ本のリンクをamazonの広告にすること位は検討しますが、それは書きたいことありきの記事で広告のための記事ではないですからね。

 

さて、アフィリエイトディスる記事ではなくて「無職になる」という話なのですが今後のことがノープラン過ぎて書くことがなくなりました。

 

最後に投稿日現在、台風により各地に大きな影響が出ています。野良猫、路上生活者たちがどうにか切り抜けられますように・・・。

 

**Note: このブログでは毎月の支出金額・内訳を掲載していますが、実のところ給料ではなくて給付金を受け取っているため収入は減っています。めちゃくちゃ大赤字なのです。余計な説明を省くため、通常の給料を受け取っているという体裁を取って収支を公開しています。

目的は「支出金額・内訳」の公開ですので、療養とか、その辺の説明は重要ではないと考えています。支出内訳・金額を創作しない限り記事は成り立つと思っています。

 

野良猫と人間のつかず離れずの暮らしが受け入れられたらいいのに

 

タイトル通り、野良猫と人間のつかず離れずの暮らしが受け入れられたらいいのにな、という話です。

モヤモヤしていることを書きます。

目次:

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こちらの野良猫

越してきた地域には野良猫が多く住みついています。猫のほとんどはボランティアさんの尽力によって去勢・避妊手術済みです。

もともとこの地域に住んでいる猫好きな方がまめにお世話をしている環境なのですが、私はそれに便乗しておやつ程度のご飯をあげたり、排泄場所の提供に協力しています。

 

モヤモヤと考えていることは大まかにこうです。

 『人間が去勢・避妊手術を行うことで子孫を残す道を奪ってしまうけれど、せめて今、外で暮らしている猫ちゃんたちには寿命をまっとうしてもらおう、という地域で見守る暮らし方は受け入れられないのか。』 

 

このモヤモヤの背景には「餌やり反対」とする言い分について、複数の納得いかない感覚があります。

 

いくつかの納得いかないこと

さて、諸々の納得いかないと感じることについて書き出します。

 

「野良猫に餌をあげることで猫は子どもを産み続け、増えすぎてしまった結果、殺処分になってしまうことこそが可哀そう。無責任に餌をあげるな。」

→これは「やせ細っていき、やがて餓死するのを待て。」ということと、どう違うのかがわかりません。動物虐待を容認することとどう違うのですか。 

これ以上野良猫を増やさないためには、去勢・避妊手術を行う必要があると思います。餌をあげなければ良い、というのはまるで人間による猫への虐待に見えてしまいます。

 

無責任という非難は責任感ある発言のように見えますが、発言者はこの問題に一切ノータッチで傍観するだけなことが多いです。現実に責任を伴わない無責任という断罪の仕方は、実はけっこう残酷かなと思います。

 

「フンをされるのが迷惑だ」

→動物ですから食べれば排泄するのは当たり前なのですが・・・。

「自分たちの場所は迷惑だからどこか余所へ行け」と他人へ押し付けているのですが、押し付けているという核心部分は口にしません。

 

「お宅が餌をやるから猫が来る、だから餌をやるな」

→誰かが餌をあげているんだから大丈夫、というのも他所へ問題を押し付ける発想から生まれる発言です。悪意がないのはわかります。

ただ、これを全員が本当に実施したなら猫たちはみるみるうちにやせ細っていくでしょう。そのような残酷な状態については、都合良く見えない、想像できなくなってしまうのかなと思います。

 

餌をもらえない飢えた猫はゴミを漁るようになるでしょう。たとえ現在の猫が他所へ移動したとしても、空いた場所には別の猫たちが流れ着いてまたゴミを漁ります。

 

「殺してしまえ」

動物愛護という概念が一般的になったこの時代においても「殺してしまえ」と声を挙げる人がいます。それが虐待だということを理解されていないようです。

動物愛護の考え方が浸透していない時代を生きてこられたからか、特に高齢の方に多いと感じます。

現在33歳くらいの私も、目まぐるしい時代の変化に追い付けなさを感じることがあります。技術革新だけでなく、常識やルールというのも時代によって変わるものですよね。60年、70年と生活していれば、それはもう違う世界だと思うのでわからなくはないです。

 

現代、先進国においては野蛮な考えですが、こについて理解を強いることはできません。乱暴なことをすれば罪に問われること、ネズミ避けの側面といった直接的にプラスやマイナスに働く点を説明する方がお互いにとってスムーズなようです。

 

「物を台無しにされた」

→赤ん坊に泣くなというのは無理な話で、それに近い話かなと思います。動物愛護という考えが浸透しているこの時代に(当然、法律もありますし)、物を台無しにしたから死んでも良い、殺してしまえ、という話にはならないはずです。

「台無しにしても良い場所」「遊んでいい場所」などを置き、台無しされたくないものにはむき出しにならないように覆うことなど地道な対策をするしかないです。

 

この場合もやはり、目に見えやすいプラス・マイナスに働く点を説明するのが良いようですね。

  

「餌をやるな、世話をするな。お前のせいで猫がいる。」

→フンを取っているボランティアさんにこのような言葉を浴びせる人がいます。

ボランティアさんは捕獲と手術の労力をかけ、ご飯を用意し、更にフンで迷惑がかからないように排泄物を拾い集めたりしながら街を保っています。

 

一方で「世話をするな」と激しい口調で罵る人たちは、解決の労力も費用も払わないのです。

ペット販売ビジネスの問題、飼育に関するルール違反など、個人でどうにもならない根本の問題を脇へ追いやり、その上で言いやすい人に罵声を浴びせるという行為自体も、到底理解できる話ではないです。

 

野良猫と人間が一緒に暮らすことについて

猫を増やさない対策を取った上で、今暮らしている猫たちと人間がつかず離れずの生活を送れたらいいのになと思います。

 

猫の利益は人間の利益という側面もあります

 

飢えた猫たちは家庭から出されるゴミを漁るようになります。そうなりますとゴミは荒らされ放題、カラスもネズミもたくさん寄って来るでしょう。

猫への餌やりは猫だけでなく、人間の暮らしの快適さに寄与することもあります。

そのために猫を野良に放つという意味ではありません。すでに野良に放たれてしまっているのだから、あとは共生の道を受け入れた方がいいのではないかと。

 

通りすがりに餌をばらまくことに即刻、それ相応の罰則を課してほしいです

 

猫の餌やりをする人には道路や、他人の敷地内に餌をばらまいていく人がいます。餌をばらまかれてすぐに猫たちが食べてしまえば気付きませんが、その前に家主が気付いた場合、すでに虫が寄ってきていたりして、家主は嫌な思いをしてそのゴミを処理しなければなりません。

とても気の毒な話で、家主の負担はとても重いものだと想像できます。おまけにこの迷惑行為により猫たちはますます立場が悪くなります。

餌のばらまきは誰の利益にもならず、迷惑な行為でしかありません。

ところが、この迷惑行為を行う人たちには「可哀そうだから」という本人なりの善意の気持ちがあります。これに対して「地域で世話していますから勝手に餌はあげないでください」と説明できれば話が早いと思います。

 

あるいは、周辺住人に対する嫌がらせの意図を持っている場合があるので、それこそ即刻罰則を与えてほしいです。タバコのポイ捨てに罰則を課す知恵があるのですから、そういう能力は出し惜しみしないで、このような地域問題の解決にも使ってくれませんか。

 

餌場も排泄場も用意すれば地域住民のフン被害は減ると思います

  

どこにされるかわからない、されて困る場所に排泄される、ということがとても迷惑になっている思います。個体の習性があるので必ずしもできることではありませんが、ある程度フンの場所を決めることができます。

そうすればフンの被害に困るご家庭や猫が苦手な住民にとってもプラスに働くと思います。

 

公に認めることで住民間のトラブルを回避できると思いますが、責任を回避したい行政はあくまで住民間で解決してくれという姿勢を崩しません。

人々から強制的にお金を回収しているにも係らず、全く役に立たない低品質なサービスしか提供しないし、責任も負いたくないそうです。

 

猫のお世話を誰がするか問題

 

アレルギーやトラウマ的な苦手意識を抱えている方は猫を回避していただく必要がありますが、そうでなければ本来は動物愛護という観点から、人間たちは協力して世話にあたっても良いんじゃないかとすら思います。

ですが、それは猫に興味のない人には酷ですし、時間と労力を割くことを甘受できるのは猫好きならではですから、これはお互いに利害の一致ということで引き続き好きな人がお世話をするのが落としどころかなと思います。

 

現在、ボランティアさんは手術をせずに猫を放ったどこかの誰かの無責任の尻拭いをしています。本来であれば文句を言う相手ではないのですが、寄ってたかって文句を言われてしまう状況は改善できないでしょうか。

 

好きだからお世話の費用も労力も自己負担でやっているのですから、せめて文句を言わないでくれと強く言いたいです。費用負担については、行政と相談が必要だと思います。

 

餌やりに伴う責任について

無責任なのは悪質な業者や飼い主を増やすペット販売ビジネスやそれを改善しないことや、飼育を放棄することです。

野良に出ざるを得なかった猫たち、そして望んで野良に生まれるわけではないその子孫たち。餌やりは無責任な者の尻拭いの側面があると思っています。

私としては、地域で見守ればいいのにという思いから、餌をあげたければあげればいいと思っています。

配慮が必要なのは人間の食べものを与えないとか、いっぺんに与えすぎないとか、猫の健康に関わることのみかなと。

 

すでに野良で暮らしている猫とはつかず離れずの関係でいればいいんじゃないかなと思います。手術しているので子孫が増えることはありません。私たちは飢えないようにご飯を出して、ご近所の迷惑を減らすようにフンを拾うのです。

 

野良のお世話をする=自宅で飼えるというわけでもありません。だったら連れて帰れ、という人がいますが、仕事で家を空けることや家族に苦手な人がいるなど困難な事情があります。

自分では何も行動しない人が、他人へ重い負担を強いることを当然のように口にします。

落としどころとして好きな人が野良のお世話を引き受ける状況で、「もっとなんとかしろ!」と要求するのはよくいるモンスターの姿にほかならないと感じます。

 

野良の生活が長い猫を無理矢理に室内に入れることは、苦痛を強いることになってしまいかねないです。

 

ご飯をあげたければあげればいいし、遊びたければ遊べばいいかなと。なにか重大な特別な責任は生じないと思っています。

葛藤を抱えながら野良猫と付き合っている

ボランティアさんたちは、ご近所の苦情も理解しながら、野良猫のケアも考えている。

行政が口を出さない代わりに心を砕いて住民と話し合い、街の環境づくりに努める。

猫を可愛がりながらも、捕獲し繁殖の能力を奪わなければならない。

野良の過酷な状況を100%解消することはできないという苦しさを感じながら活動している。

楽しいだけではなく、困難や葛藤を抱えています。

殺処分ゼロとは一部の人が心身をすり減らした上に成り立っているのだろうと思うと本当に頭が下がります。

 

「だったら殺せとか」とか「お前がなんとかしろ」とか、なんのためらいも葛藤もなく暴言を吐くことに強烈な違和感があります。

 

おかわり

何らかの形でペット税を導入してそれを保護動物のケアに係わる諸々の財源とすることはできないんですかね。

それから無責任な飼い主を減らすためにも生きものの安売りはしてはいけないし、保護動物ではなくて、どうしても無垢な赤ちゃんを求めるならそれ相応の費用を払えばいいのに。

 

大人が寄ってたかって野良猫を邪魔者扱いして、後始末を押し付け合っていていることに何も違和感はないのかな。

そんな姿を子どもたちの前に晒して、子どもに慈しみの心なんて教える気はないのですか、と尋ねたいところです。 

 

「望んで野良になったのではない」というのは、私が貧困家庭に生まれた境遇と重ねてしまうために強く感じるのだろうと思います。

かといって途中でお金持ちの家に引き取られても順応できないことは目に見えていますので、その辺も自分を重ねてしまいます。

このような勝手な見方は猫にとってはありがた迷惑で、関心のない人にとっては「どうぞご勝手に」という類のものだと思いますが、私が野良猫に関心を持つ理由の1つとして重要な部分ではあります。

 

飼育放棄だけでなく、不運が重なり家を飛びすことに成功した結果、迷って帰れなくなってしまい、そのまま野良になる猫もいます。

猫の飼い主探しやお世話もやはり誰かの優しさに頼るばかりでなく、行政が関わっていいのではないかなと思います。

 

近隣の話と他所の話を組み合わせるなど話の大筋に影響のない範囲で調整して書いています。今のところこんなモヤモヤした感じがありますので愚痴を長々と書きました。

 

※投稿日現在、強い台風が迫ってきています。民家の下など身をひそめるところを探すのが得意な猫たちですが、それでも大変な日になると思います。野良猫たちが無事に過ごしてくれますように。

 

「ニコチン中毒じゃなくて精神的にちょっと頼っているだけ」と本気で思っていた元喫煙者

 

「私はニコチン中毒じゃなくて、精神的にちょっと頼っているだけなの。辞めようと思えば辞められるから。」というのはニコチン中毒です。

目次:

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世界の見え方が違う喫煙者たち

貧困育ち、社会的地位が低い、学歴がない、当然のことながら収入は低い。生活費が圧迫されるのにタバコを吸っている人・・・それは私のことです。正しくは私でした。

 

タバコを吸っていたとき、私は「自分はニコチン中毒ではない」と本気で思っていました。仕事中にタバコ休憩は取りませんし、人通りのある路上では吸いません。(夜間とか人気がないと吸いました。)

基本的には家のベランダ、換気扇の下、自分の部屋、それから分煙の喫煙スペースでタバコを吸うことだけが心休まる時間でした。

 

タバコを吸わない方からすれば、本来共有スペースである集合住宅のベランダでタバコを吸うことはルール違反だ、換気扇から煙を出されることは大変に苦痛だという指摘があります。

この点については何と言ったらよいか・・・万引き家族のような人たちが暮らす生活環境を想像していただけますか。

家族の誰かが喫煙者でそれが当たり前、という環境です。我が家だけでなくマンション自体が場所柄もあってそういう世帯がとても多かったのです。

 

あくまで慣習とか、そういう意味合いですが日常的な常識やルールというのは生活環境によって変化する一面があると感じているので、そういう「気分」を前提に元喫煙者について書きます。

 

前提条件についてもう少し突っ込んで書いておきます。

例えば万引き家族の世界では、子どもの誘拐を誘拐と認識しなかったかり、年金を受け取るために逸脱行為をすることも仕方ないという感覚の人たちがいました。

こういう人たちは映画の中だけでなくて実在しています。

私自身がそういう環境下で育っていたため、集合住宅でのルールや世間の常識ということに考えが及ばなかったのです。

 

精神的に頼っているだけ、の変遷

最初に私が喫煙を始めたのは二十歳を過ぎた冬の夜のことでした。

ストレス解消とか孤独な時間を埋めたいという気持ちから「タバコを吸ってみよう」と思いついたのです。

お酒は飲みませんし、あまり人とも会いませんから交際・外食費がかかりませんのでタバコ代位ならと思っていました。

周囲に反対する人もいなかったので、思いつきのまま喫煙を始めました。

今思うと意味がわからないのですが、頭がよろしくないので後先考えられず目先の欲求とかそういうのに引っ張られやすいんですね。

 

喫煙習慣はあっという間に身に付きます。冬の夜空の下で冷たい空気に包まれてタバコを吸うことが最高の癒しになりました。

それからしばらくはタバコが好きだから吸うのではなくて、「冬の空気が好きだから」とか「外で吸うのが好きだから」と考えていました。

 

数年後、住まいが変わるとタバコをベランダでは吸いにくくなりました。「夜の空気が好き」ならばタバコを辞めて良いのですが、今度は台所の換気扇の下で吸うようになります。

「ちょっと一息つくだけだから。気分転換だから。」と考えるようになります。

その後は、分煙された喫煙席を家の近くで見つけて、そこでタバコを吸うことも心の拠り所になります。

 

そんなことを続けているうちに喫煙席で吸うとタバコ臭くなってしまうことが気になるので、今度は世に出てきた加熱式タバコを部屋で吸うようになりました。

部屋で吸えるようになると場所の制約がなくなり、雨でも風でも自由に喫煙できて、タバコの消費本数があっという間に増えました。

 

もはや「外の空気」とか関係ありません。

 

喫煙者の多くは喫煙の動悸をその時々に応じて自分の都合の良いように作り出してしまいます。(頭がよろしくないのにそういうのだけはできました。)

 

喫煙は恐ろしい迷宮です。

入口は広く誰でも入れるのですが、抜け出すことは大変に難しく、出られないまま迷宮の中で人生を終える人もいます。

 

健康被害を無視できてしまうのが中毒、依存

わかっちゃいるけど辞められない・・・そんなことの1つや2つ喫煙者でなくてもあるでしょう。

では喫煙は何が違うのか、ネットや本を読んで得た答えを書きます。

 

喫煙をするとむせたりすることがあります。吸い過ぎると気分が悪くなることもあります。タバコの箱には喫煙による害が明記されていますし、害悪については多くの情報が出されています。

喫煙に関しては以前よりも厳しく自身だけでなく周囲の人への健康被害が指摘されているにも係らず、喫煙者はタバコを辞めることが困難です。

 

その行為を辞められないことにより、明らかに健康の害を周囲と自分に及ぼしてしまうことが、その他の「わかっちゃいるけど辞められない」ことと大きな違いだと考えています。

 

ニコチン中毒者の自覚が芽生える

タバコの値上げにより禁煙を考えた時にある一冊の本を読んでみました。

そこで初めて自分がニコチン中毒なのだ、という事実を認識したときにタバコを辞めようと思いました。

 

「マンガで読む 禁煙セラピー」(アレン・カー、桐ケ谷ユウジ)という漫画形式の禁煙書籍です。

すぐには禁煙の決心ができなかったのですが、日常生活の中で「私はニコチン中毒者なのだな・・・」という認識がじわじわ効いてきて、うんざりした時に本格的に辞めることにしました。

 

断っておきますと、タバコを美味しいと思って吸っている方にはつける薬がないと思っています。私の家族がそうです。

まぁヘビースモーカーではないので自分の気の済むようにしたら良いと思っています。

 

精神的に頼っているだけ、の人に言いたいです。

それこそニコチン中毒の症状なのですよ、と。

 

タバコを吸わなくなったら一息つけない、なんてことはありません。最初のうちは葛藤がありますが最終的には離れられますよ。

 

依存体質の人へ注意事項

「精神的にちょっと頼る」何かが欲しい人へ。

 

禁煙の後、気付いたら私はお酒を飲むようになってしまいました。最初のうちはほんの一杯でしたが、二杯、三杯とあっという間に飲む量が増えました。

お酒に強くないので量はたかが知れていますが、毎晩ほろ酔いよりも酔っている状態になっていたのです。

 

せっかくタバコを辞めても次はお酒か・・・

自分が何か依存しやすいことに気付いた頃には、飲酒によって生活が不規則になりますます自己嫌悪に陥る負のループにはまっていて、精神的にもかなり追い込まれていました。

家族ともトラブルになり、これはマズイなと思ったので心療内科にかかることになったのですが、それから家族の病気やら、私の服薬やら、様々な生活の変化がありまして今は飲酒も辞めることができました。

 

精神的な辛さを解決するのにタバコや飲酒といった依存しやすいものは選ばない方が身のためだと思います。

この道理をご自身で納得できたときが潮時ではないでしょうか。

 

依存することによって生活のバランスを保っている方、生活を変えることはとても勇気が必要ですがそのようなタイミングが訪れ際には、ぜひその機会を逃さないでみてください。

 

備考:タバコ代

一人暮らしをしていた頃も喫煙していました。当時の振り返り家計簿記事では、タバコ代の記載を忘れていましたが約月3~4,000円位でした。

 

父の前歯が無くなっていた◎貧困の大人たちは歯の磨き方もケアの大切さも知らない

 

数年前に見かけた父には前歯がありませんでした。

絶縁した父を私はコジローと呼んでいます。現在60代後半になります。

 

貧困家庭では安価な菓子パンやカップ麺をよく食べるために炭水化物摂取量が多いとか、栄養の摂取が偏るとか、貧乏なのにタバコを吸うとか、片手にワンカップほにゃららでもう一方にアル中とか、貧困にいる人たちの不健康については各所でずいぶん指摘されています。

 

最近の私としては、身近なところで取り返しのつかない大問題があって、それは歯のケアなんじゃないかと感じることがあります。

貧困大人の生態について歯のケアに着目して記事を書きます。

目次:

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コップに沈む総入れ歯

歯のないコジローを見て「歯が無くても気にしない人」だと思っていたのですが、実際はそうではなくて歯の治療がけっこう高額なため治療を受けていない可能性がある、ということに気付きました。

  

ふと思い出しましたが、コジローの歯のトラブルは私の物心ついた時には生じていました。幼少期の記憶の中でコップに入った入れ歯を珍しくてよく見ていたことを覚えています。

当時三十代と若かったにも係らずコジローの上もしくは下の歯は総入れ歯でした。つまり現在のコジローは、上下いずれかは総入れ歯で、そうでない方の前歯がないのです。

(あるいはとっくの昔に前歯も失って入れ歯にしていたけれど、その入れ歯も何らかの理由でつけられなくなったとか?)

いずれにしても、残っている歯があったとしても状態はとても悪いのだろうなと思います。

 

治療方法は選べますが、知人のケースではブリッジも入れ歯も薦められない状態でインプラントにするほかなかったそうです。

ところでインプラントってめちゃくちゃ高いですし自費診療なのですね。(全く知りませんでした)

 

仮に現在のコジローにインプラントを薦めたとしても金銭的な問題で彼は諦めるしかないでしょうね。

 

噛めない、歯がないことの弊害

食べ物をきちんと噛めずに飲み込むことは、のどに詰まる危険性もさることながら、まる飲み状態なので食べた分の栄養をきちんと体に取り込めないことにより、貧困によってもともと栄養不足なところを追い討ちをかけるように栄養状態を悪化させてしまうと思うのです。

 

そして体の問題と合わせて私が気になるのは、噛めない・歯がないことによる生活の質の低下が、他の心身の問題を引き起こすことです。

 

◎食べられるモノ(=飲み込めるもの)とそうでないものを意識しながら食事することは、自分の行動を不本意に制限されている状態でストレスになります。

◎美味しいと味わって食べる喜びなどを失ってしまいます。

◎ますます食の楽しみや健康に関心がなくなり、一人きりのパチンコや酒に追いやることになりかねません。

◎歯がない状態では仕事の採用で不利になるケースがあります。(職業によりますが、歯がないことにより生じる不利益はゼロではないと思います。)

 

これを読んでいるだけでなんだか憂鬱な気分になりませんか。50代くらいではうつの傾向が高まる恐れがあるでしょうし、60代、70代高齢になれば認知症の発症のリスクにもつながると思います。

楽しみがない、人と関わりのない高齢者は認知症を発症しやすい、というのはテレビでも取り上げられていてよく言われています。

ちゃんと噛めないことが直接的に認知症につながるわけではないと思いますが、相関があることは否定できないかなと思います。

巡り巡って、認知症の一つの要因となるというところでしょうか。

 

彼らはどうしたら歯のケアへ関心を持つか

高額な治療費が出せないなら、日頃のケアと定期的なクリーニングをするべきなのですが、そういう貧困の大人たちに限ってこれをやらないのです。

この人たちに歯のケアの必要性を伝え、行動へ移すように促すことは大変に困難です。

駅に「歯のクリーニングへ行こう」や「歯周病を予防しよう」というポスターを貼っても彼らには届きませんので、労力とお金の無駄遣いです。

 

小学生の頃に、歯の磨き方を教えてもらう時間がありましたが、貧困にいる人たちにはあまり意味がないかもしれません。

現在貧困にいる大人たちの多くは子どもの頃から貧困にいますから、家庭全体で健康への意識が低いです。子ども本人が興味を持たないでしょう。

 

それからコジローについては、残念ながら発達障害学習障害可能性が考えられるため授業の時間を設けても響かなかった可能性大です。

 

ちなみに私が子どもの頃は「歯磨き粉は必要ない」と怒られてしまい、歯磨き粉を買ってもらえず水で濡らした歯ブラシで磨いていました。当時は気付きませんでしたが、今振り返ると周囲の子どもたちに比べて歯科検診で虫歯が多い方だったと思います。永久歯の奥は銀歯ばかりです。

 

個人の希望としては(企業や歯科医のことは一切考えていませんが)、歯のケアを怠ることのリスクを周知してほしいです。

貧困の大人たちが自発的に情報を集めることはないでしょうから、これは何かの協会がCMを流すとか、歯ブラシ・歯磨き粉の会社が箱に「歯周病によってあなたの歯は抜けます。歯周病菌はあなたを人生のどん底につき落とします。」とか怖いことを書いてみるとか。

 

タバコは中毒物質を含むものですから、いくら箱にリスクを書いてもスルーしますが(元喫煙者なのでよくわかります)、歯磨きに関しては中毒物ではないので少しは怖さを感じてもらえるのではないかと期待しています。

ただ、この人たちの特徴に「自分は平気」と妙な自信を持っていたり、高をくくりがちという傾向がありますので、他人事に捉える人は大勢いると思います。一方で私のように言われれば関心を持つ人も一定数いるはずなので、まずはそういう人たちをすくい上げて行き徐々に裾野を広げていくとか。

 

無料の定期歯科健診もあったらいいなと思います。タダなら行く可能性が高くなります。私たちはタダが大好きです。

介護の人材不足も叫ばれている中ですし、歯の健康が保たれることで心身の健康が保たれて病気や認知症発症リスクを減らすことができれば、トータルでは税金の負担が減ってコスパが良い、ということはないのでしょうかね。

そして歯科健診で歯磨きの仕方とか、30代からはフロスの導入必須とか、懇切丁寧に教えてあげればいいのになぁと思います。

 

本人の問題と切って捨てないでほしい

貧困大人の不健康について、私の願いとしては本人の問題だと切り捨てないでほしいと思っているのでこのようにグチグチと書いています。

 

我が家について言えば、親子諸共オール発達障害者だと思いますが、全員適切な支援を受けずに育っています。そして、貧困や精神的な二次障害は親から子へまるっと引き継がれているのです。

発達障害という持って生まれた日本社会での生き辛さ、親の貧困、これらを全て本人の責任としてしまうのはやはり気の毒です。そういう人をケアしたり、可能な範囲での自立を支える福祉の仕組みをもっと充実させることはできませんかね。

 

生活費もままならない中『歯の健康』なんて考えませんから。

お金がないお金がない、お金がない、なんだかむしゃくしゃする、酒飲みたい、という感じなんじゃないですか。

 

これが貧困にある大人の生態です。

*あくまで私の周囲の事例です。ケースバイケースな部分は大いにあると思います。

 

高卒・貧困というキーワードでご覧の方(そうでなくても歯医者へ行っていない方)、まずは歯医者の予約をしてみませんか。

 

痛みを感じていなくても虫歯は進行しています。

私は1日3回歯を磨いていますが、1年半歯医者へ行かずにいたら歯の一部分がぽっかり欠けてしまっていて、虫歯は神経の少し手前まで進んでいました。

歯は一度悪くなったら元には戻りませんし、悪化しすぎると本当にお金がかかってしまいます。程度によりますが何十万とか百万単位ととても重い負担です。

痛みはなくても「しばらく行ってないので診てもらいたい」と言えば診てくれてクリーニングや虫歯治療を受けられますので、ぜひ時間を作って診察を受けてほしいと思っています。

 

父、コジローに関する記事です↓↓

 

www.blue-aoko.com

 

事務職のお小遣い帳(2019年9月)◎今月の洋服代・美容費など

 

30代女性・実家暮らしの毎月の支出を公開する記事です。9月分をアップします。

 

「人のふり見て我がふり直せ」と言いますから、そんな意味でのご参考になればいいなと思います。

というのは建前でして、本音はこうです。

貯金できない&赤字の現実を直視したくなくて支出管理をやめてしまいそうなため、「毎月記事にする」ことをルール化することで確実に記録を取り、適切に支出を管理できるようになりたいからです。

目次:

9月の集計結果

集計結果の画像を貼りつけます。

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今月もやはり赤字です・・・ 

 

項目別の振り返り(言い訳)

出費が嵩んだところなど、いくつかの項目について振り返って言い訳します。

◆食費:約1,300円

今月は家族が買い物をしていて私はほとんどスーパーへは行きませんでした。助かりました。

 

◆服飾:約6,500円

秋冬に備えてウォッシャブルのニットなど2点程購入しました。

 

◆美容費:約9,000円

エスプリークの1本約2,500円のリップを購入したのですが色味を失敗してしまったため、operaの約1,500円のリップを買い直しました。

あくまで私基準ですが、リップだけはお金をかけようと決めているのですが、さすがにエスプリークを買い直すことはできませんでした。

お金をかけるといっても百貨店の化粧品売り場のブランドでは1本4、5,000円しますから、それに比べると2,500円は可愛いものですね。大事なのは私の収入で考えるとリッチだということです。

他の人と比べ始めたらキリがないですから。

 

基本的に化粧品はほぼバラエティショップかドラッグストアでしか買いません。時々オルビスへも行きますが、他のブランド化粧品と違って価格帯的にはドラッグストアに近く、お手頃でオススメです。

 

色味の合わなかったリップですが、幸い家族が気に入ってくれたので譲りました。捨てなくて済んで良かった。

 

◆チャージ:約8,000円

先月よりもだいぶ抑えられました。

 

◆交際・外食:0円

誰とも遊んでいません。 (3ヶ月連続~!)

 

◆医薬品:約50,000円

歯科治療で保険適用外の治療を受けたため医療費がぐーんと跳ね上がりました。他にも自分の通院費と家族の通院費もあります。

 

◆お小遣い:約44,000円

これは贅沢すぎ!

言い訳ですが理由があります。増税+値上げ前に習い事のチケットを買いました。

お金はあっという間に流れ出て行きますねぇ。

 

◆イレギュラー:0円

先月のようなイレギュラーな買い物はありませんでした。

 

◆冠婚葬祭:約11,000円

家族へ贈り物をしました。

 

◆貯金:0円

 

まとめ

歯科治療が最も大きな出費になりました。仕方ないですね。

1日3回歯磨きしていますが、定期的にクリーニングに行かないとケアしきれませんね。歯医者が苦手なのでどうしても先延ばしにしがちで、親知らずもこの年まで抜いていません。今年中になんとかします。

 

本当は美容室へ行きたかったのですが、あまりにも出費が多くて今月は見送りました。

結局行くのですから、いつ行っても同じかもしれませんが、収入に見合わない支出を平然とみているのも何か愉快でない感じがするのです。

気分の問題ですね。

 

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