この年になって(33歳位)自分の発達障害(ASD、ADHD)を知り、私の父、コジローも同じように発達障害者だったのではないか、ということに気付きました。(母もほぼ間違いなく発達障害者だと思います・・・)
『社会のゴミ屑』だと思っていたコジローに対して、一瞬だけやりきれない気持ちになりました。一瞬だけですが。
一見すると健康で働ける人たちなのに、どういうワケか貧困に陥る家庭が一定数存在しています。そういった家庭の親たちは、ネット上では『DQN』と表現されるような物事を考えず、衝動的に非常識な振る舞いをする人であったります。
コジローはまさしくこのDQNなのですが、彼について言えば発達障害の特徴と一致することが多いです。
父、コジローの問題行動
おそらくコジローにはADHD(注意欠陥・多動・衝動)とLD(学習障害)があったのではないかと推察します。コジローが私の父であった十数年、どんな様子であったか、おおまかに事例として書き出します。
【勉強ができない】
・コジローは算数ができませんでした。割り算もできませんし、当然分数もわかりません。
私が宿題をやっている横で自分は算数できないから算数はできた方が良いぞ、と彼なりのアドバイス(?)をくれていました。まだ比較的親子関係が良かった時代には、自分が勉強できなかった分、私の成績が良いと喜ぶ場面もあったと記憶しています。
・算数に限らず勉強をしてこない人だったようです。ただの怠け者と思っていたのですが、多動・衝動的といった特性と何らかの学習障害により『勉強ができなかった』のではないかと思われます。
【キレる、我慢できない】
・とても切れやすく抑えることが困難です。恐ろしいことに、カッとなって妊娠中の母を殴ることもあったそうです。
・電車で傘が触れたとか触れないで喧嘩をして帰ってくることがありました。それを武勇伝のように語るので今思うと典型的な痛いDQNにしか見えません。
・こらえ性がありません。気に入らないと仕事をすぐに辞めてきて、そのまま働きません。仕事がうまくいかないことを、どういうワケか母のせいにすることもあります。
・次第に暴力や暴言が激しくなっていき、あっという間にDV男の出来上がりです。警察に助けを求めたこともあり、最終的には母子でコジローの元から離れます。
【社会性を身に着けない】
・税金や保険料を納めなければならないことも、そういった支払いをした上で子どもを養っていくために働かなければならないことをあまり理解していません。
・人から借りたお金は返しません。感覚的には「俺のものは俺のもの、人のものも俺のもの」かなと思います。悪質で可愛げのないジャイアンです。
・やってはいけないことを理解しません。コジローの生活圏は治外法権になっているようです。当たり屋でお金を得ることは労働よりも楽で稼げる商売だと思っていたようです。
・小学生の頃、しばらく父親が留守にしていた時期がありましたが、実は拘置所にいました。(大人になってから知りました。)
・離婚後も度々警察のお世話になっていたそうです。
・離婚後、子どもに会いにくる理由が「お金を借りる」ためのみですが、それについて何の罪悪感も持てないようです。すでに険悪だった私から借りることが気に入らなかったらしく驚くことに返済してきたのですが、その元手は私の弟から借りたお金らしいです。(ギャグですかね?)
もしも適切な療育や医療を受けられていたら
挙げ出したらきりがないのでこの辺にしておきますが、問題行動が多すぎる人だと改めて思います。この状態で「普通」の社会生活を送れないことは容易に想像できます。
親族の話を聞く限り幼少期から多動・衝動的な部分はあったようで喧嘩っ早いのは子供の頃から治りません。
幼いうちから勉強もできず、成功体験は何一つない典型的な落ちこぼれだったと思われます。
親であったコジローは、彼なりの生きづらさを感じていたようで、ストレスから円形脱毛症や部分的な白髪になっていたことがありました。
もしもコジローが発達障害者として適切な医療や支援を受けることができていたら、子どもは両親から普通の愛情を受けることができたのではないか、家族が貧困に陥り、やがて崩壊することはなかったのかもしれない、と少しだけ思います。
当然コジロー自身も、得体の知れない強いストレスから救われていたかもしれません。
得体の知れない、と書いたのは発達障害者は何が自分のストレスになっているかわからないことが多いからです。おそらくコジロー自身は何か上手くいかない、釈然としない、思い通りにいかない、そんな負の感情を募らせていたのではないかと思うのです。
それから、自分の置かれている状況を理解しにくいところがあるため、自分たちが貧困に陥っていることもよくわかっていないと思います。
コジローも母の実家も、どちらかというと余裕のない家庭でした。何の後ろ盾もないただの発達障害者は、手を差し伸べられることなく育ち、その障害により貧困に陥る可能性は十分にあります。貧困から生活保護や、母子手当等、福祉の力を頼らざるを得ません。
そうなる前に、義務教育の段階で社会生活を送れるような療育が行われるようになればいいなと思います。
教育の現場に人手とお金を割いて、やがて大人になる子供たちが社会生活を送れるような教育を受けることができれば生活保護費等の支出を抑えることにつながるように思えますが、そんな単純な話ではないでしょうか。
発達障害の親との関係修復は必要か
もしご自身のご家庭に思い当たる節がある場合、親子関係に相当悩まれているかなと思います。
私はコジローについては手遅れだと思っています。私自身も、この先どうやって生きて行けば良いかわからないのに父のことを考える余裕はありません。
自分自身の生きる基盤が最重要で、親もろとも沈没する必要はないですから。
私たちはそういう運命だった、そういう人生なんだ、と思うしかないです。それで割り切れない方については、ちょっとどうしたら良いか私もわかりません。申し訳ありません。
いかなる理由があってもコジローを許す材料にはならないと思っているので私は親子関係の修復は1ミリも望んでいませんし、同時に彼にはそれが不可能であることを私は知っていますが、おそらく65歳を越えている彼の残りの人生がわずかでも穏やかであることを少しだけ願っています。
▼追記:YouTubeに解説をアップしました。