aoko's blog

社会に出て困難を感じる人へ(社会人・事務・貿易事務スキル・諸々の生きる術など)

野良猫と人間のつかず離れずの暮らしが受け入れられたらいいのに

 

タイトル通り、野良猫と人間のつかず離れずの暮らしが受け入れられたらいいのにな、という話です。

モヤモヤしていることを書きます。

目次:

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こちらの野良猫

越してきた地域には野良猫が多く住みついています。猫のほとんどはボランティアさんの尽力によって去勢・避妊手術済みです。

もともとこの地域に住んでいる猫好きのボランティアさんがまめにお世話をしている環境なのですが、私はそれに便乗しておやつ程度のご飯をあげたり、排泄場所の提供に協力しています。

 

モヤモヤと考えていることは大まかにこうです。

 『人間が去勢・避妊手術を行うことで子孫を残す道を奪ってしまうけれど、せめて今、外で暮らしている猫ちゃんたちには寿命をまっとうしてもらおう、という地域で見守る暮らし方は受け入れられないのか。』 

 

このモヤモヤの背景には「餌やり反対」とする言い分について、複数の納得いかない感覚があります。

 

いくつかの納得いかないこと

さて、諸々の納得いかないと感じることについて書き出します。

 

「野良猫に餌をあげることで猫は子どもを産み続け、増えすぎてしまった結果、殺処分になってしまうことこそが可哀そう。無責任に餌をあげるな。」

→これは「やせ細っていき、やがて餓死するのを待て。」ということと、どう違うのかがわかりません。動物虐待を容認することとどう違うのですか。 

これ以上野良猫を増やさないためには、去勢・避妊手術を行う必要があると思います。餌をあげなければ良い、というのはまるで人間による猫への虐待に見えてしまいます。

 

無責任という非難は責任感ある発言のように見えますが、発言者はこの問題に一切ノータッチで傍観するだけなことが多いです。現実に責任を伴わない無責任という断罪の仕方は、実はけっこう残酷かなと思います。

 

「フンをされるのが迷惑だ」

→動物ですから食べれば排泄するのは当たり前なのですが・・・。

「自分たちの場所は迷惑だからどこか余所へ行け」と他人へ押し付けているのですが、押し付けているという核心部分は口にしません。

 

「お宅が餌をやるから猫が来る、だから餌をやるな」

→誰かが餌をあげているんだから大丈夫、というのも他所へ問題を押し付ける発想から生まれる発言です。悪意がないのはわかります。

ただ、これを全員が本当に実施したなら猫たちはみるみるうちにやせ細っていくでしょう。そのような残酷な状態については、都合良く見えない、想像できなくなってしまうのかなと思います。

 

餌をもらえない飢えた猫はゴミを漁るようになるでしょう。たとえ現在の猫が他所へ移動したとしても、空いた場所には別の猫たちが流れ着いてまたゴミを漁ります。

 

「殺してしまえ」

動物愛護という概念が一般的になったこの時代においても「殺してしまえ」と声を挙げる人がいます。それが虐待だということを理解されていないようです。

動物愛護の考え方が浸透していない時代を生きてこられたからか、特に高齢の方に多いと感じます。

現在33歳くらいの私も、目まぐるしい時代の変化に追い付けなさを感じることがあります。技術革新だけでなく、常識やルールというのも時代によって変わるものですよね。60年、70年と生活していれば、それはもう違う世界だと思うのでわからなくはないです。

 

現代、先進国においては野蛮な考えですが、こについて理解を強いることはできません。乱暴なことをすれば罪に問われること、ネズミ避けの側面といった直接的にプラスやマイナスに働く点を説明する方がお互いにとってスムーズなようです。

 

「物を台無しにされた」

→赤ん坊に泣くなというのは無理な話で、それに近い話かなと思います。動物愛護という考えが浸透しているこの時代に(当然、法律もありますし)、物を台無しにしたから死んでも良い、殺してしまえ、という話にはならないはずです。

「台無しにしても良い場所」「遊んでいい場所」などを置き、台無しされたくないものにはむき出しにならないように覆うことなど地道な対策をするしかないです。

 

この場合もやはり、目に見えやすいプラス・マイナスに働く点を説明するのが良いようですね。

  

「餌をやるな、世話をするな。お前のせいで猫がいる。」

→フンを取っているボランティアさんにこのような言葉を浴びせる人がいます。

ボランティアさんは捕獲と手術の労力をかけ、ご飯を用意し、更にフンで迷惑がかからないように排泄物を拾い集めたりしながら街を保っています。

 

一方で「世話をするな」と激しい口調で罵る人たちは、解決の労力も費用も払わないのです。

ペット販売ビジネスの問題、飼育に関するルール違反など、個人でどうにもならない根本の問題を脇へ追いやり、その上で言いやすい人に罵声を浴びせるという行為自体も、到底理解できる話ではないです。

 

野良猫と人間が一緒に暮らすことについて

猫を増やさない対策を取った上で、今暮らしている猫たちと人間がつかず離れずの生活を送れたらいいのになと思います。

 

猫の利益は人間の利益という側面もあります

 

飢えた猫たちは家庭から出されるゴミを漁るようになります。そうなりますとゴミは荒らされ放題、カラスもネズミもたくさん寄って来るでしょう。

猫への餌やりは猫だけでなく、人間の暮らしの快適さに寄与することもあります。

そのために猫を野良に放つという意味ではありません。すでに野良に放たれてしまっているのだから、あとは共生の道を受け入れた方がいいのではないかと。

 

通りすがりに餌をばらまくことに即刻、それ相応の罰則を課してほしいです

 

猫の餌やりをする人には道路や、他人の敷地内に餌をばらまいていく人がいます。餌をばらまかれてすぐに猫たちが食べてしまえば気付きませんが、その前に家主が気付いた場合、すでに虫が寄ってきていたりして、家主は嫌な思いをしてそのゴミを処理しなければなりません。

とても気の毒な話で、家主の負担はとても重いものだと想像できます。おまけにこの迷惑行為により猫たちはますます立場が悪くなります。

餌のばらまきは誰の利益にもならず、迷惑な行為でしかありません。

ところが、この迷惑行為を行う人たちには「可哀そうだから」という本人なりの善意の気持ちがあります。これに対して「地域で世話していますから勝手に餌はあげないでください」と説明できれば話が早いと思います。

 

あるいは、周辺住人に対する嫌がらせの意図を持っている場合があるので、それこそ即刻罰則を与えてほしいです。タバコのポイ捨てに罰則を課す知恵があるのですから、そういう能力は出し惜しみしないで、このような地域問題の解決にも使ってくれませんか。

 

餌場も排泄場も用意すれば地域住民のフン被害は減ると思います

  

どこにされるかわからない、されて困る場所に排泄される、ということがとても迷惑になっている思います。個体の習性があるので必ずしもできることではありませんが、ある程度フンの場所を決めることができます。

そうすればフンの被害に困るご家庭や猫が苦手な住民にとってもプラスに働くと思います。

 

公に認めることで住民間のトラブルを回避できると思いますが、責任を回避したい行政はあくまで住民間で解決してくれという姿勢を崩しません。

人々から強制的にお金を回収しているにも係らず、全く役に立たない低品質なサービスしか提供しないし、責任も負いたくないそうです。

 

猫のお世話を誰がするか問題

 

アレルギーやトラウマ的な苦手意識を抱えている方は猫を回避していただく必要がありますが、そうでなければ本来は動物愛護という観点から、人間たちは協力して世話にあたっても良いんじゃないかとすら思います。

ですが、それは猫に興味のない人には酷ですし、時間と労力を割くことを甘受できるのは猫好きならではですから、これはお互いに利害の一致ということで引き続き好きな人がお世話をするのが落としどころかなと思います。

 

現在、ボランティアさんは手術をせずに猫を放ったどこかの誰かの無責任の尻拭いをしています。本来であれば文句を言う相手ではないのですが、寄ってたかって文句を言われてしまう状況は改善できないでしょうか。

 

好きだからお世話の費用も労力も自己負担でやっているのですから、せめて文句を言わないでくれと強く言いたいです。費用負担については、行政と相談が必要だと思います。

 

餌やりに伴う責任について

無責任なのは悪質な業者や飼い主を増やすペット販売ビジネスやそれを改善しないことや、飼育を放棄することです。

野良に出ざるを得なかった猫たち、そして望んで野良に生まれるわけではないその子孫たち。餌やりは無責任な者の尻拭いの側面があると思っています。

私としては、地域で見守ればいいのにという思いから、餌をあげたければあげればいいと思っています。

配慮が必要なのは人間の食べものを与えないとか、いっぺんに与えすぎないとか、猫の健康に関わることのみかなと。

 

すでに野良で暮らしている猫とはつかず離れずの関係でいればいいんじゃないかなと思います。手術しているので子孫が増えることはありません。

ボランティアさんは飢えないようにご飯を出して、ご近所の迷惑を減らすようにフンを拾うのです。

 

野良のお世話をする=自宅で飼えるというわけでもありません。だったら連れて帰れ、という人がいますが、仕事で家を空けることや家族に苦手な人がいるなど困難な事情があります。

自分では何も行動しない人が、他人へ重い負担を強いることを当然のように口にします。

 

落としどころとして好きな人が野良のお世話を引き受ける状況で、「もっとなんとかしろ!」と要求するのです。

テレビで取り沙汰されるようなモンスターカスタマーモンスターペアレントいったモンスターの姿にほかならないと感じます。

 

野良の生活が長い猫を無理矢理に室内に入れることは、苦痛を強いることになってしまいかねないです。

 

ご飯をあげたければあげればいいし、遊びたければ遊べばいいかなと。なにか重大な特別な責任は生じないと思っています。

 

葛藤を抱えながら野良猫と付き合っている

ボランティアさんたちは、ご近所の苦情も理解しながら、野良猫のケアを考えています。

行政が口を出さない代わりに心を砕いて住民と話し合い、街の環境づくりに努めています。

猫を可愛がりながらも、捕獲し繁殖の能力を奪わなければならないのです。

野良の過酷な状況を100%解消することはできないという苦しさを感じながら活動しているのです。

楽しいよりも多くの困難や葛藤を抱えています。

殺処分ゼロとは一部の人が心身をすり減らした上に成り立っているのだろうと思うと本当に頭が下がります。

 

「だったら殺せとか」とか「お前がなんとかしろ」とか、なんのためらいも葛藤もなく暴言を吐くことに強烈な違和感があります。

 

おかわり

何らかの形でペット税を導入してそれを保護動物のケアに係わる諸々の財源とすることはできないんですかね。

それから無責任な飼い主を減らすためにも生きものの安売りはしてはいけないし、保護動物ではなくて、どうしても無垢な赤ちゃんを求めるならそれ相応の費用を払えばいいのに。

 

大人が寄ってたかって野良猫を邪魔者扱いして、後始末を押し付け合っていていることに何も違和感はないのかな。

そんな姿を子どもたちの前に晒して、子どもに慈しみの心なんて教える気はないのですか、と尋ねたいところです。 

 

「望んで野良になったのではない」というのは、私が貧困家庭に生まれた境遇と重ねてしまうために強く感じるのだろうと思います。

かといって途中でお金持ちの家に引き取られても順応できないことは目に見えていますので、その辺も自分を重ねてしまいます。

このような勝手な見方は猫にとってはありがた迷惑で、関心のない人にとっては「どうぞご勝手に」という類のものだと思いますが、私が野良猫に関心を持つ理由の1つとして重要な部分ではあります。

 

飼育放棄だけでなく、不運が重なり家を飛びすことに成功した結果、迷って帰れなくなってしまい、そのまま野良になる猫もいます。

猫の飼い主探しやお世話もやはり誰かの優しさに頼るばかりでなく、行政が関わっていいのではないかなと思います。

 

近隣の話と他所の話を組み合わせるなど話の大筋に影響のない範囲で調整して書いています。今のところこんなモヤモヤした感じがありますので愚痴を長々と書きました。

 

※投稿日現在、強い台風が迫ってきています。民家の下など身をひそめるところを探すのが得意な猫たちですが、それでも大変な日になると思います。野良猫たちが無事に過ごしてくれますように。