『なんでそんなに冷たいの?』
自閉症スペクトラム障害(ASD)の当事者の方、過去に言われたことがありませんか。あるいは周囲にASDの人がいる方、そのように思っているのではありませんか。
ネットでは「ASDは、人の気持ちがわからない」「冷たいことを言う」という情報が拡散されています。
そのような有象無象の情報は、当人や周囲の人が感じる印象を偏って補強するという面があると思います。それを間違いとは言いませんが、表層的過ぎて正しいとも思えないというのが当事者としての感想です。
有象無象の情報によって人の気持ちがわからないという強い印象が先行して、それがASDなのだ ⇒ つまりASDのあなたは人の気持ちがわからない、と早合点されてしまうことに違和感があります。
言われっぱなしの当事者として、私の事例を書くことで何か1つ言い返したいと思っています。
あくまで私の事例ですので人によりけりです。
【人によりけり】というのがポイントですね。他者を自分のわかる範囲でカテゴライズするのはもろ刃の剣だと思います。
さて、私が「冷たい」と言われるケースはだいたい決まっています。
例えば、
・仕方ないから諦めなよ
・それが現実でしょ
・気持ちはわからんでもないけどそれは手がかかり過ぎるから端折った方が良い
・事実でしょ
といったように「あなたの気持ちはさて置き」という感じのことをサラッと言ってしまう時です。
そして「青子は人の気持ちがわからないの?」「なんでそんな冷たいこと言うの?」となってしまうのです。
でも私は相手の気持ちを理解できなくて、このような発言をしているわけではないのです。これについて何から話したら良いかわからないのですが・・・少し、私が子どもの頃の話をします。
3~4歳の記憶ですが、1人で遊んでいることが好きでした。
ASDの子に多いそうですが、アリを追っかけ、見ているのが好きだったのです。
人と何かを分かち合うということを求めたことをはありません。これは検査を受ける中で気付きました。私は他者を求めていませんでした。
幼稚園に入ってからもそうして1人で遊んでいました。
細かいことは覚えていませんが、そんな「マイワールド」はすぐに許されなくなります。
親から「友達と遊んできなさい」と怒られるようになったのです。なぜ怒られるのか、わかりませんでした。けれど怒られるのは辛いです。
そして私のやっていることは間違っているのだと思いました。
私は1人遊びを諦めました。
そこから、およそ30年以上に渡る「とにかく周囲の人にくっついていく」「周囲の人を真似する」という人生が始まります。
次第に、周囲の人の真似をして、溶け込んでいくことが生きて行く上で必要だということをわかっていったと思います。
1つの生きる術として、私は人生を賭けて所属するコミュニティに溶け込むことに努めました。会社に勤めるようになってからは社内で生き抜く術としても、そのような力が必要でした。伊達に子どものから周囲に溶け込むことを「人生のテーマ」にしてきたわけではないのです。最初の会社ではボロボロでしたが、2社目に入る頃には普通のOLになっていました。
仕方がなかったのです。この世界で生きて行くために私は私の気持ちの全てを諦め、捨てる形で折り合いをつけてきたのです。きっと私は冷めてる、冷たいのではなく、折り合いをつけるのが得意なだけです。
ここまで書くとなんとなく想像がつくかと思いますが、折り合いをつけたり諦めたりすることが当たり前になっているから、つい自分の基準で「仕方ないよ」「それが現実だもん」という言葉が出てきてしまいます。
諦めを強要するつもりはないし、このような言葉をかけることが適切でないことも確かにあるでしょう。しかし、それがすなわち「人の気持ちがわからない」ものだと決めつけて、本当に良いのでしょうか。
生まれつき人の気持ちを理解しくいという部分があることを否定はしませんが、それをカバーするために何の努力もしていないと思いますか?
周囲の人に溶け込む、周囲の人を真似する人生の中で、私がどれだけ他人を理解することに心を砕いて必死に取り組んできたか、想像できますか?
もちろん完璧ではないでしょうけれど、「人の気持ちがわからない」「冷たい」などといとも簡単に言われてしまうのは残念です。
もしも自分が同じ立場に立ったとき、個人の存在を無視して「人の気持ちがわからない人」という大きなレッテル貼りをされることに何の悔しさもわかないのでしょうか?
【ASDは「人の気持ちがわからない」「冷たい」】というどこかで拾ってきたような一面的な情報をいかにもらしく拡散して、悩んでいる人を餌食にする不届き者は大勢います。そのような【発達障害で一儲け】しているような人たちにとって私の反論なんてコバエの羽音にもならないでしょうけれどね。
親だけでなく教員も友人も・・・この定型発達基準の社会が、私に折り合いをつけることを強要してきました。それと同じようなことを、自分がしないようによくよく肝に銘じてこれからも暮らしていきたいと思います。
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